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三洋電機はどうなった?その現在地を探る

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「三洋電機」と言えば日本の大手電機メーカーの1つと認識されていますが、
最近はCMや家電量販店などで三洋電機の名前を見ることが少なくなっています。

「倒産した」といった情報もありますが、
現在三洋電機はどうなっているのかを詳しく見ていきましょう。

     
   

三洋電機は現在も存続しているが・・・

三洋電機は倒産して無くなったと思っている人も多いかもしれませんが、
2023年10月現在も三洋電機は存続しています。

本社こそ創業以来の大阪府守口市から大阪市(登記上は門真市)に移したものの、
現在も「SANYO」ブランドの製品が作られています。

ただ独立企業ではなく、同じ日本の大手電機メーカー「Panasonic(旧松下電器)」の
完全子会社となってしまっているのです。

三洋電機は元々、松下電器(現Panasonic)創業者の義弟で
当時松下電器専務取締役であった井植歳男氏が1947年に創業しました。

松下電器から一部製品の権利と工場を譲り受けたこともあって、
当初は「ナショナル」ブランド(当時の松下電器のブランド)の製品を作っていました。

1953年に自社ブランド製品である噴流式洗濯機が大ヒットして三洋電機の名前は
一躍有名になり、総合家電メーカーとしての道を歩み始めます。

最終的にはグループ全体の従業員数が10万人を超える巨大企業となり、
「本家」松下電器と国内外でしのぎを削るライバル企業に成長したのです。

しかし2004年の新潟県中越地震で子会社の半導体製造工場が被災、
地震保険に入っていなかったこともあって大きな損失を計上して赤字に転落します。

経営陣の入れ替えや一部事業の売却などで立て直しを図ったものの好転せず、
2008年にPanasonicグループ傘下に入ることで合意して現在に至ります。

三洋電機グループの従業員は退職希望者を除いて全員がPanasonicに転籍、
取締役のみの法人となって三洋電機の名前だけが残った状態です。

製品は消耗品のみ

現在もSANYOブランドの製品が作られていると言いましたが、
現在作られているのは消耗品のみです。

例えば
 ・掃除機の紙パック
 ・FAX機のインクリボン
 ・加湿器のフィルター
などです。

かつては洗濯機や冷蔵庫、エアコンといった白物家電、テレビ、デジカメ、カーナビ
なども作っていましたが、全てPanasonicに移管か他社に売却されています。

ソーラパネルの主要メーカーでしたし、充電式乾電池「エネループ」も
三洋電機の製品でしたが、いずれも現在はPanasonicに移管されています。

SANYOブランドで発売された家電については、
これまで三洋電機で修理などのサポートを受け付けていました。

しかし家庭用製品に関しては、
部品の供給終了に伴って2023年9月30日で全てのサポートが終了しています。
(参照:https://www.panasonic.com/jp/company/sanyo/consumer/supportinfo.html)

業務用製品は一部サポートが終了しているものもありますが、
2023年10月以降もサポートを継続しています。
(参照:https://www.panasonic.com/jp/company/sanyo/cs.html)

三洋電機の数々の不祥事

三洋電機がPanasonic傘下となったのは経営不振が原因ですが、
経営不振に至るまでに数々の不祥事を起こしています。

最初は1984年に発生した、石油ファンヒーターの不完全燃焼による
一酸化炭素中毒で計4人が亡くなるという事案です。

当時の三洋電機製石油ファンヒーターは空気の取入口が上向きに設置されていたため、
コリなどが溜まって不完全燃焼が起こりやすくなっていました。

この三洋電機の事案によって石油ファンヒーターの構造が見直されて、
より安全に使える現在の形へと変わるきっかけとなりました。

また石油ファンヒーターの自主回収と無償修理を知らせるTVCMが
放映されたのですが、これが日本で初めての宣伝を目的としないCMとなっています。

現在でも時折BGMなしで字幕とナレーションのみで回収と修理を知らせるCMが
流れますが、その多くが三洋電機のCMをテンプレートとしています。

一酸化炭素中毒で4人亡くなったのは残念ですが、石油ファンヒーターの安全性向上と
お詫びCMのテンプレート化という思わぬ副産物が生まれたのです。

ただ1994年から1998年にかけて、
石油ファンヒーターから瞬間的に炎が噴き出るという事案が再度発生しました。

不完全燃焼に続いて炎が噴き出す事案が発生したことを受けて、
三洋電機は2001年に石油ファンヒーターの製造を終了しています。

太陽光発電パネルの不正販売

1990年代後半から2000年にかけては、新たな主力事業となりうるとして
力を入れていた太陽光発電事業でも不祥事を起こしています。

三洋電機の子会社が販売していた太陽光発電パネルが、
仕様よりも出力が低いと市民団体から指摘を受けました。

しかし三洋電機側は2000年10月に至るまで数年間、
仕様よりも出力が低い発電パネルを販売していた事実を認めなかったのです。

2000年10月に不正販売の事実は認めたものの、
当初から仕様より低出力と知って販売していたことは隠ぺいします。

三洋電機が当初から不正販売の事実を把握していたことがバレて、
三洋電機本社と発電パネルを販売していた子会社の社長が辞任に追い込まれました。

2000年12月には当時の管轄官庁であった通商産業省(現経済産業省)から
行政処分を受け、不正販売した発電パネルを自主回収することで事態が収束します。

自主回収した発電パネルは、
行政処分後に三洋電機が建設した岐阜県の太陽光発電設備で使用されています。
(現在はPanasonicが管理している)

現在新築物件に太陽光発電システムの設置を義務付ける自治体が出てきているので、
太陽光発電事業に目を付けた三洋電機には先見の明はありました。

発電パネルの不正販売をしていなければ、ひょっとしたら太陽光発電事業を
新たな基幹事業として三洋電機で生き残った未来があったかもしれません。

洗濯乾燥機の発火事案

三洋電機がPanasonic傘下に入る数年前、新しい主力製品として発売を開始した
全自動洗濯乾燥機で発火事案も発生しています。

2003年に三洋電機が発売したトップオープンドラム式洗濯乾燥機は
当初から不具合が頻発、3度ものリコール対応を行いました。

しかしリコール時の修理作業の不備によって、
再度洗濯乾燥機から出火するという事案が発生してしまったのです。

再度の無償修理や製品交換、返金といった対応を三洋電機は迫られてしまいました。

リコール対応をしたのにそれが十分でなく、新たな問題が発生して再度対応を
迫られるというのは、経営不振に陥る企業ではよくあることです。

製品に不具合が発生するのは仕方ないですし、
三洋電機は発生した不具合に対してリコールなどの適切な対応を一応は取りました。

ところがその対応が不十分だったことから、この時点で三洋電機は既に企業ガバナンスが効いていなかったのかもしれません。

三洋電機のDNAは海外メーカーに引き継がれた?

三洋電機はPanasonic傘下で存続しているものの、
家電メーカーとしてのDNAは海外メーカーに引き継がれています。

Panasonic傘下に三洋電機が吸収されたことで、重複する洗濯機と冷蔵庫の事業が
中国の家電メーカー「ハイアール」に売却されたのです。

洗濯機と冷蔵庫の事業がハイアールに売却された際に、
その事業に従事していた三洋電機の従業員150人ほどもハイアールに移っています。

ハイアールは格安家電として日本でも認知度が上がってきていますが、
格安であると同時に他社にない機能が搭載されていることも人気の要因です。

三洋電機も往時には
 ・水で落とせない汚れをオゾンの力で落とす洗濯機
 ・電解水を使って空気をキレイにする空気清浄機
 ・米を釜の中で対流させて炊く炊飯器
 ・ご飯からパンを作るホームベーカリー
など他社にない独自技術を使った製品を多く生み出していました。

三洋電機のチャレンジ精神や他社に追随するだけじゃない尖った精神が
ハイアールに引き継がれているのです。

Panasonicが三洋電機を傘下に収めた理由

経営不振に陥った三洋電機に救いの手を差し伸べたのが、
「本家」であるPanasonicでした。

ただ創業者同士が姻戚関係にあると言っても、世界でも有数の電機メーカーである
Panasonicが情実で斜陽の三洋電機を傘下に収めるとは思えません。

Panasonicが三洋電機を傘下に取り込んだ理由として考えられるのは
「蓄電池」と「太陽光発電事業」の2つです。

三洋電機がPanasonic傘下となった当時、
リチウムイオン二次電池いわゆる蓄電池の分野で三洋電機は世界トップでした。

小型蓄電池「エネループ」が日本国内でもヒットしており、
Panasonicは三洋電機が持つ蓄電池のシェアと技術を手に入れたかったのです。

実際に三洋電機を傘下に収めたPanasonicは、
リチウムイオン二次電池のシェアが世界トップとなりました。

特に電気自動車などに搭載される車載用蓄電池の世界シェアは4割超でダントツです。

太陽光発電事業も三洋電機は当時国内2位のシェアとなっていました。

この数年は残念ながら国内外でシェアを下げているものの、
2020年頃まではPanasonicが国内トップでした。

Panasonicは創業者同士の縁から三洋電機を引き取ったのではなく、
蓄電池と太陽光発電事業が目的だったと考えられます。

実際に三洋電機を傘下に収めた後に蓄電池と太陽光発電事業でシェアを
伸ばしたわけですから、Panasonicの狙いは的中したのです。

     
   

まとめ

三洋電機は現在Panasonicグループの一員となっており、
倒産して無くなってしまったわけではありません。

ただ事業のほとんどがPanasonicに吸収されるか他社に売却されたため、
家電メーカーとしての体は成していないです。

今後は完全にPanasonicに吸収されて三洋電機の名前すら無くなる可能性もあり、
かつてSANYO製品を使っていた人にとっては寂しい限りです。

   
   

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